まだ子供の頃、学校が終わると毎日近所の池に釣りに行っていた。1年以上何も釣れなかったが、友達と3人で話をしながらただただルアーを投げているだけでも本当に楽しかった。

そんなある日、私は一人の「大人の釣り人」と出会った。

その大人の釣り人が見せてくれる写真には、自分が釣ったことのないような大きなサカナ、見たことのないようなプロペラの付いた大きなルアー、そして恐竜の赤いスタジャン。

幼かった私は無条件にその「大人の釣り人」に憧れてしまった。

 

そう、この時私はトップウォーターのバスフィッシングとザウルスに出会ったのだ。

 

それからの私は、その「大人の釣り人」から借りたザウルスのビデオを擦り切れるほど見た。ビデオに登場していないルアーのアクションは、ザウルスのカタログにかじりついて想像したりもした。親に買ってもらったトップウォーターの雑誌に掲載されている、トップの神様“則さん”のエッセイも何回も読み返した。そのエッセイに書かれている「トップウォーターは大人の釣りだ」という言葉は、この釣りに対しての強い憧れを抱かせる反面、まだ子供だった私にとっては、届かない世界だと感じさせるものでもあった。

 

「あぁ〜、早く大人になって、あんな大人なバス釣りをしたい。」

 

いつもそんな夢を見ていた。

 

東京から、長時間走らせてやっと辿り着いた山上湖。

それにもかかわらず、何回投げてもバイトすら無い。

夕方に向けて日が徐々に落ちていく。夕マヅメの湖面は水面が鏡のようで吸い込まれそうなくらい神秘的だ。1日の終わりを迎える時間帯。餌を求めたバスがシャローのストラクチャーに身を潜めているだろう。日は刻一刻と落ちていく。ミスキャストは許されない。着水音も柔らかく自然に出さなければならない。限られたバイトゾーンでのアクションは神経を集中して行わなければ、理想的なアプローチはできない。点の釣り、線の釣りとよく言うけれど、私はこの緊張感溢れる点の釣りが大好きだ。狙ったラインをただ巻きで流す釣りにも緊張感というものは存在するが、ポーズをとりじっくり攻める釣りは、魚を誘うことに時間をかける分、想像が膨らむし、時間がゆっくり流れる為、魚を捕るまでの工程を濃密に楽しむことができる。そんな釣りで強烈なバイトをもらってしまえば、一生忘れられない思い出となる。

則さんがよくエッセイに書いていた「一匹の魚とどうかかわるか」という言葉の意味はそういったところではないかと私は思う。

 

ワンドの中に入り、深いオーバーハングの最奥にバックハンドキャストでワンダーバードを自然に着水させた。

タックルはフィリプソンのBC60Mとナイロンラインを巻いたABUアンバサダーの5500C。

スレたフィールドのオーバーハングを攻めるにはあまり現代的ではない組み合わせだが、私はこのスタンダードなスタイルが好きだから仕方がない。

それにロッドの先をきれいに折り畳むようにキャストすることによって、低くて深いオーバーハングにも綺麗にキャストを決めることができる。

 セオリー通りに波紋が消えるまで待つ。心地の良い静寂からのメリハリを付けたタダ引きで、ワンダーバードがポコポコと音を立てた1メートルほど引いてきたその瞬間っ!!

 

これからもっと大きくなるであろう若いバスだった。

 

結局、私の求める間を使った点の釣りではなく、線の釣りだった。

すべてが理想通りには行かなかったけれど、自分の思い通りのアプローチで誘い出したバスを手にして、子供の頃憧れていた「大人の釣り」に一歩近づいた気がした。

 

バルサ50に出逢ってから10年以上が過ぎ、大人になった私は今、毎日が充実して

いる。それは素晴らしい「大人の趣味」に出逢えたからなのだと思う。

 

これからが楽しみで仕方がない。

 

まだまだいろいろなシチュエーションでバスを釣りたい。

そしてもっともっと感動的な出会いをしたい。

 

ザウルスのルアーで、あの頃いつも想像力を膨らませていた、あのアクションで。

 

美しい景色の中、水面にカヌーを浮かべ、今私はザウルスのあの赤いスタジャンを着て竿を出している。

 

そう、あの頃憧れていた、あの人の姿と同じだ。

「今、大人になって。」

JIN